偉大なる法華経

経典。

それはお経と言われるもので膨大なものがあります。

しかしその中で法華経は実に不思議でありがたいものなのです。

私は南無妙法蓮華経と心に念じて唱えてきました。

私の人生はいいこともありましたが幾度も苦境に立たされました。

そんな時こそ南無妙法蓮華経と唱えました。

いつの間にか苦境から救われているのです。

法華経がまたお護りくださったなと私は感謝の思いで南無妙法蓮華経を唱えてます。

やはり法華経は不思議なお力があるのだと偉大さに感謝するばかりです。

日蓮聖人と法華経

鎌倉時代日蓮聖人という僧侶がいました。

当時は南無阿弥陀仏と唱える念仏信仰が盛んでした。

しかし疫厄に天変地異に戦などで世は乱れてました。

日蓮聖人は疑問を持ちました。

なぜ念仏が盛んなのに世は乱れているのだろうかと。

日蓮聖人は疑問を解決すべく全ての経典を何年もかけて全て解読しました。

そこで法華経という経典に辿りつきました。

法華経以前に説かれた経典は釈尊の本意である法華経へと導く方便だったことを日蓮聖人は突き止めました。

法華経こそが真実であり他の経に依っているから世は乱れているのだと結論に至りました。

日蓮聖人は法華経を用いるよう時の為政者に幾度も諫言しました。

このことで日蓮聖人は幾度も念仏信者に迫害されたり流罪になったりしました。

日蓮聖人は命を懸けて日本を救おうとしたのです。

大自然

近代現代の科学テクノロジーの発達は人々に多くの恩恵をもたらしました。

しかし人々は大自然に対する畏敬の気持ちをどこかに忘れてしまったようです。

人間は他の動物にない言語など複雑な能力を持ってるにすぎません。

人間とは所詮生き物なのです。

大自然の一部にすぎない存在だと思います。

大自然あってこそ我々は生きられるのだと。

大自然に感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。

 

 

 

 

時代が進んでも

どんなに科学テクノロジーが発達した世の中になろうが人は様々な苦しみに死から逃れられません。

仏法の叡智はこういう様々な苦や死にアプローチするのです。

仏法は信仰はそんな現代になろうが古めかしくも辛気臭いものではありません。

現代を生きる私たちに生きる羅針盤となるのです。

法華経信仰のきっかけ

私は若い頃いろいろ悩んでました。

ある日悩んでいた時のことでした。

私の目前に地獄のような怖い光景が浮かんできました。

私は恐怖で苦しくなりました。

怖く不思議な出来事に直面した私の頭に浮かんだのが信仰というものでした。

亡くなった祖父が創価学会員だったこともあり学会についてはよく知らなかったものの私はタウンページで日蓮正宗の寺院を調べました。

ある寺院が私の目に留まりました。

宗教上の悩みのある方、人生上の悩みのある方遠慮なくお訪ねくださいとありました。

私はすぐに連絡しました。

ご住職に悩んでいたことを聞いてもらいました

それをきっかけに私は法華経の信の道に入りました。

 

 

 

 

み仏の教え

私が帰依している法華経の教えは

決して拝金主義の新興宗教ではありません

人々の苦みに寄り添う慈悲深き教えです。

江戸時代の檀家制度で寺院と僧侶は葬式をするものという風潮が日本に蔓延しましたが、寺院は僧侶はみ仏の教えを人々に伝えていくのが本来の役割なのです。

み仏の教えは迷い大き人生の羅針盤になります。

み仏の教え法華経は充分に学び実践する価値があるのです。