人の苦しみ

人は生きていく上でさまざまな苦しみから逃れることは出来ません。

生きることは苦しみの連続です。

しかし誰しもが形は違えど苦しみという荷物を背負って生きてます。

自分の他にも苦しんでる人がいる。

そうか自分はひとりじゃないんだ。

と思えてきて苦しい気持ちもやわらいできます。

私もいろんな苦悩がありましたが、ふっとそう思えてきて気持ちも楽になりました。

仏法を活用しよう

多くの世間の人は葬式は仏式で行います。

しかし思います。

葬式仏教はもったいないと。

仏法はいかに人生を有意義に生きるかの教えがつまっているのです。

それを葬式だけに用いるのは実にもったいないと。

仏さまの教えを生きることに活用すべきだと私は思うのです。

煩悩と三毒

煩悩を持たない人はこの人間界には存在してません。
私は煩悩を持っているんだ。
しかしその煩悩に振り回されてはならない。
そう思えるかどうかはその人次第です。

煩悩の中でも厄介なのが貪瞋痴の三毒というものです。
いかるむさぼるおろかという意味です。

せっかく獣ではなく人間に生まれたのです。
心の中が三毒の炎で燃え盛っているのはいいことでしょうか。

三毒に侵されそうになったら、ぜひ南無妙法蓮華経を唱えてみてください。

たちまちお題目のご威力で三毒はおさまるはずです。

仏法を学ぼう

自然界には数多くの動植物が存在してます

その中で人間として生を受けるのは非常に稀なことです

会い難し人身と仏典では説いてます

その人身も寿命があり死を免れられません

それ故にみ仏はみ仏の教えを学び実践することをすすられているのです

 

 

 

仏法の信者として

世の人は仏法を信じてない人が多いですが

私はその仏法の信者です。

人が生きるのは苦しみの連続かもしれません

しかし良きこともあります。

人の人生は良きことと苦しみが織り混ざっているのです。

それに振り回されずにしっかり足を地に付けて歩いていくことを仏法はすすめているのです

人間関係や経済的なことで悩む人がほとんどではないでしょうか?

ひとつの悩みが解決したらまた次の悩みという風に悩みの全くない人生はあり得ません

私も両方の苦しみを経験しました。

これからもまた最期の日までその悩みは尽きないと思います。

仏法は苦境を苦しめといってるのではありません。

問題に直面したらどうにか解決させていくべきだとも思います。

例えば仕事先でのパワハラ

理不尽さとたたかうべきだと思います。

あまりにも度がすぎてたら辞めてもいいと思います。

君子危うきに近寄らずですから。

 

食べれることは当たり前じゃない

私には幾度も困窮で食べれないことがあった。

飢えでもうこのまま死ぬのかとも思った。

食うに困らないことがいかに恵まれているか実感した。

食べ物は命を繋ぐ有難いものだ。

 

現代社会

人は非科学的なものを信じようとしない。

目に見えないものを信じようとしない。

そんな中自分はこれからそういうものを説いていかねばならない。

嘲笑されたり攻撃を受けるかもしれない。

しかしそれを喜べる自分でありたい。