昔は
医療の発達もなく人々の平均寿命が短かったです。
それで人々は何かに命をかける信仰という行為を盛んにしていたのです。
医療が発達した現代においては信仰は軽んじられるようになってしまいましたが。
しかし人々の生きる苦しみなど生きるということの本質は変わらないと思います。
私が法華経の信の道に入ったきっかけは
34年前に起こったある哀しい事件がきっかけでした。
その事件が報道されるたびに私の心は不安定になりある日突然目の前に地獄のような光景が浮かんだのです。
これはもはや宗教というものに救いを求めるしかないと思い創価学会のことはほとんど知らなかった私は日蓮正宗に入信しようと決めました。
タウンページに載っていた寺院に向かうとご住職が待っておられまず創価学会ではなくむしろ学会を辞めた人々の集まりであることを聞かされました。
それから私の悩み事などを聞いてもらいました。
信仰は強制ではないとご住職は仰りましたが私は心の安定を願い信仰しますと意思表示したのでした。
当時の若い人なら親が信仰してるからなど人がほとんどの中私のような事例はなかなかない話しだったと思います。